イゲタのこだわり

良質のたんぱく質が摂れる食品として人気だった創業時代

陸奥湾をいただく青森港は寛永元年(1624年)、二代目津軽藩主・信牧公によって津軽藩の藩港として開発に着手されました。それまで善知鳥という小さな漁村だったのを青森村と改め、今では懐かしい町名となっている蜆貝町・米町・浜町・塩町など次第に町としての形も整い、現在の港町周辺には近くの漁市場に水揚げされた魚を原料とした、水産加工品を製造する工場が建ち始め、多くの人たちが行き交う賑やかな町として発展していきました。 昭和30年代の高度成長期を迎え、青森の水産業もにわかに勢いづき、青森港周辺で商いをしていた水産加工場も活気に満ちていました。昭和38年当時のイゲタ沼田焼竹輪工場では、当時から水揚げの多かったサメを原料に焼ちくわを製造、良質のたんぱく質が摂れる食品として、学校給食や病院食としても提供されていました。やがて時代の求めに応じて、より高級な美味しさを追求する中で、現在のスケソウダラが原料として使われるようになったのは、昭和40年代後半のことです。

RABテレビが伝えた青森『あの瞬(とき)』で紹介されました。
著作・制作 青森放送株式会社 ※この映像は青森放送株式会社の承認を得て使用しています。

新聞に掲載されました。

2010年10月5日 東奥日報に掲載されました

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